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東京地方裁判所 平成4年(ワ)21038号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

飯塚勝

被告

乙山花子

右訴訟代理人弁護士

末松憲一

叶幸夫

主文

一  被告は、原告に対し、金六七九万二〇〇〇円及びこれに対する平成四年一二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを九分し、その七を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、九〇〇万円及びこれに対する平成四年一二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、弁護士である原告が、被告に対し、①訴訟委任契約に基づき四〇〇万円の成功報酬及び②消費貸借契約に基づき五〇〇万円の貸金、並びに右各金員に対する訴状送達の日の翌日である平成四年一二月二三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

これに対し、被告は、第一次的に、①については成功報酬支払の条件となる「依頼の目的」が達成されていないとして、②については右金員は貸金ではないとして、第二次的に、被告の、原告に対する、右訴訟委任契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求権を自働債権とする相殺の抗弁を主張して、原告の右請求を争う。

二  争いのない事実

1  原告は、東京弁護士会所属の弁護士である。

2  被告は、平成二年当時、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)に居住していたところ、訴外株式会社セイコートレーディング(以下「セイコー」という。)から、本件建物の明渡等を求める訴訟(東京地方裁判所同年(ワ)第六三一〇号事件。以下「別件訴訟」という。)を提起された。

3  被告は、原告との間で、平成二年六月一二日、別件訴訟について訴訟委任契約(以下「本件委任契約」という。)を締結し、原告に対し、右訴訟に関する一切の訴訟行為や和解の交渉、成立等を委任した。その後、原告は、同年七月二日、飯塚勝弁護士を別件訴訟の訴訟復代理人に選任した。

4  原告及び被告は、平成二年一一月二六日、本件委任契約に基づく成功報酬を五〇〇万円とすることを合意した(以下「本件報酬合意」という。)。

5被告とセイコーとの間で、平成二年一一月二七日の別件訴訟の第五回口頭弁論期日に、大要、次のような内容の裁判上の和解(以下「本件和解」という。)が成立し(甲一)、同日、被告は、セイコーから、本件和解に基づく立退料四〇〇〇万円(以下「本件立退料」という。)のうち一〇〇〇万円の支払を受けた。

(一) セイコーと被告は、右同日、本件建物の賃貸借契約を合意解約する。セイコーは、被告に対し、本件建物及び付属駐車場(これらを、以下「本件建物等」ともいう。)の明渡しを同三年一月末日まで猶予し、被告は、セイコーに対し、原告から(二)(2)の金員の支払を受けるのと引換えに本件建物等を明け渡す。

(二) セイコーは、被告に対し、本件立退料として四〇〇〇万円を次のとおり支払う。

(1) 右口頭弁論期日限り、一〇〇〇万円

(2) (一)の本件建物等の明渡しと引換えに、三〇〇〇万円

(三) 被告は、セイコーに対し、被告が(一)の明渡義務を怠ったときは、違約金として一〇〇〇万円を即時に支払う。

(四) セイコーは、被告に対し、(一)の明渡猶予期間中の本件建物等の使用損害金月額一二万二〇〇〇円の支払義務を免除する。

6  被告は、平成三年一月一一日、本件建物等からの立退きを完了した。また、被告は、原告から、同日、五〇〇万円を受領した。

7  セイコーは、被告に対し、平成三年一月三一日の支払期限に右5(二)(2)の立退料残金三〇〇〇万円(以下「本件残金」という。)の支払をしなかった。

8  被告は、原告に対し、平成三年九月六日付け書面により、本件委任契約を解約する旨の意思表示をし、右意思表示は、そのころ原告に到達した。

三  争点

1  〔争点1〕 右二4の成功報酬は、原告が行うどのような委任事務につき定められたものか。

(一) 原告の主張

本件委任契約における委任事務の範囲は、別件訴訟の第一審における訴訟活動のみであり、右二4の成功報酬も右事務のみに関して約定されたものであって、立退料の取立回収事務(以下「回収事務」という。)までは含まないものであった。

(二) 被告の主張

本件委任契約における委任の範囲は、別件訴訟の第一審における訴訟活動に加え、本件和解による立退料全額を回収することも含み、右二4の成功報酬は、原告の訴訟活動により、被告が、訴外会社から本件立退料の全額を現実に回収できた場合を前提としたものである。

2  〔争点2〕 原告の訴訟活動により、成功報酬支払の条件となる本件委任契約の「依頼の目的」が達成されたといえるか否か。

(一) 原告の主張

(1) 右1(一)のとおり、本件委任契約の委任の範囲は、別件訴訟の第一審における訴訟活動のみである。そして、第一審の民事訴訟事件における「依頼の目的」とは、第一審において、勝訴判決又は勝訴判決と同視し得る結果を得ることであり、右判決手続において何らかの金銭給付を求める債務名義を得たとしても、これに基づく現実的な金銭の回収までは要しないと解すべきである。

(2) 本件和解においては立退料につき合計四〇〇〇万円の合意がされたところ、①右立退料は、別件訴訟において訴外会社が主張していた借家権価格二六〇〇万円の約1.5倍であること、②別件訴訟において、被告は、三〇〇〇万円位の立退料であれば、建物の明渡しに応じてもよいとの意向であったことに照らすと、本件和解の内容は、被告にとって、別訴事件において請求棄却の勝訴判決を得たことと同等に評価されるべきものである。

(3) したがって、本件和解の成立により、本件委任契約における「依頼の目的」は達成されたというべきである。

(二) 被告の主張

(1) 右1(二)のとおり、本件委任契約における委任事務の範囲は、本件和解に基づく立退料の回収事務をも含むものであった。また、仮に、本件委任契約において原告が被告から委任を受けた事務が別件訴訟の第一審における訴訟活動のみであったとしても、訴訟委任契約における「依頼の目的」の達成とは、本件のように訴訟手続において和解調書等の債務名義を得た場合においては、当該弁護士の活動により依頼者が現実に債権を回収した場合をいうものと解すべきである。

(2) したがって、本件においては、原告の活動によっては本件立退料のうち一〇〇〇万円しか現実に回収できなかったのであるから、本件委任契約における「依頼の目的」が達成されたとはいえない。

3  〔争点3〕 原告が、被告に対し、本件委任契約に基づいて請求することができる成功報酬の額

(一) 原告の主張

(1) 2(一)のとおり、本件委任契約の「依頼の目的」は達成されたから、原告が、被告に対し請求できる成功報酬の額は約定どおりの五〇〇万円である。ただし、原告は、原告が本件立退料のうち三〇〇〇万円の回収につき最後まで関与していなかったことを考慮して、右成功報酬のうち一〇〇万円を減額し、四〇〇万円の支払を原告に請求するものである。

(2) 仮に、本件報酬合意が本件立退料の回収事務をも含めて約定されたものであったとしても、日本弁護士連合会の弁護士報酬規程(以下「弁護士報酬規程」という。)五条には、依頼者が、弁護士の責に帰することのできない事由で弁護士を解任したときは、弁護士は、その弁護士報酬等の全額を請求することができる旨の定め(いわゆる「みなし報酬規定」)があるところ、被告による本件委任契約の解除は、「依頼者が、弁護士の責に帰することのできない事由で弁護士を解任したとき」にあたるから、原告は、被告に対し、成功報酬の全額を請求することができるというべきである。

(二) 被告の主張

原告の右主張はいずれも争う。被告は、原告が本件立退料の残金三〇〇〇万円の回収事務を放棄したために本件委任契約を解除したものである。即ち、本件委任契約の解除は、原告の責に帰すべき事由に基づくものであるから、原告には、被告に対する報酬請求権はない。

4  〔争点4〕 被告が、原告から平成三年一月一一日に受領した前記二6の五〇〇万円は、原告の被告に対する貸金であるか否か。

(一) 原告の主張

右五〇〇万円は、原告が、被告に対し、弁済期を定めずに貸し渡したものである。

(二) 被告の主張

右事実は否認する。右金員は貸金ではなく、セイコーから支払われるべき本件残金が、平成三年一月末日の期限までに支払われなかったときに被告に生じた損害を填補するために交付された保証金である。

5  〔争点5〕 被告の相殺の抗弁の成否

(一) 〔争点5(一)〕 原告が被告を明渡期限前に本件建物等から立ち退かせたことにつき、原告に過失があるか否か。

(1) 被告の主張

原告には、本件建物等の明渡しに先立ち、セイコーの信用状況等についての調査をすることなく安易にセイコーの資力を信用し、本件立退料残金の支払と引き換えでなければ本件建物等の明渡しをしないという被告の意向を無視して、明渡期限前に右残金の支払を受けないまま被告を本件建物等から立ち退かせた過失がある。

(2) 原告の主張

イ セイコーの本件立退料残金の支払義務については、和解調書が作成されているうえ、当時、本件建物を含む共同住宅(以下「本件共同住宅」という。)に居住していた者は被告のみであったから、セイコーには、被告が本件建物等を明け渡すことにつき多大な利益があった。

ロ また、被告が本件建物等の明渡義務の履行を遅滞したときは、本件和解に基づき、セイコーに対して一〇〇〇万円の違約金を即時に支払わなければならないところ、このような事態を防止するためには、予め被告を本件建物等から立ち退かせておく必要があった。

ハ さらに、原告は、被告が本件建物等から立ち退いた後も、本件建物等の占有確保や、セイコーが有すると思われた預金債権につき債権差押命令の申立てをする等、本件残金につき、支払確保のための措置を講じている。

ニ 以上により、原告には、何ら過失はない。

(二) 〔争点5(二)〕 被告の損害額

(1) 被告の主張

原告の過失により、被告は、以下のとおり合計一六四六万〇〇六一円の損害を被った。

イ 本件建物等を明け渡した後の新たな住居及び付属駐車場(以下「新住居等」という。)の賃借費用 合計八六五万二三一一円

(内訳)

① 賃料 六七八万一九二〇円(平成三年一月から同年九月までの支払分(八か月分)月額四八万九七六五円及び同年一〇月から同四年三月までの支払分(六か月分)月額四七万七三〇〇円)

② 仲介手数料 四六万四五三〇円

③ 礼金、管理費等 一四〇万五八六一円

ロ 訴外牧健作に対する弁護士紹介料 二〇〇万円

ハ 原告を解任し、他の弁護士に本件立退料残額の回収を委任したことによる弁護士費用 二六〇万円

ニ 右各費用等を賄うための借入金の利息 合計三二〇万七七五〇円

(2) 原告の主張

被告の右主張は争う

第三  争点に対する判断(なお、書証の枝番についてはアラビア数字で記す)

一  争点1(本件委任契約の範囲)について

1  証拠(甲一、二の1ないし4、七、一〇の1ないし4、一二、一三の1、2、一五、乙二、三、四、五の1、2、六の1、2、七、八、六九、原告本人及び被告本人)、争いのない事実及び弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められる。

(一) 被告は、平成二年当時本件建物に居住していたが、セイコーから、①被告の本件建物に対する占有権原の不存在、予備的に、②正当事由による建物賃貸借契約の解約を理由として別件訴訟を提起された。そのため、被告は、原告との間で、平成二年六月一二日、別件訴訟における訴訟行為等に関し本件委任契約を締結した。その際、被告は、原告に対し、三〇〇〇万円程度の立退料をセイコーが支払えば、本件建物からの立退きに応じるとの方針を伝えるとともに、着手金として三〇万円を支払った。

(二) 原告は、同年七月二日、飯塚勝弁護士を別件訴訟の訴訟復代理人に選任し(以下、原告及び右弁護士を「原告ら」という。)、別件訴訟の訴訟活動を原告らで行うことにした。そして、原告らは、別件訴訟において、被告が本件建物の賃借権者であること及び正当事由の不存在を主張して、セイコーの右各主張を争った。

(三) その後、被告が本件建物の賃借権を有することを前提として、セイコーが被告に対し立退料を支払うのと引き換えに、被告がセイコーに対し本件建物を明け渡すという方向で和解交渉が進められ、セイコーは、本件建物の借家権価格を二六〇〇万円とする私的鑑定の結果に基づき、これと同額の立退料を提示した。これに対し、原告らは、本件マンションの敷地面積、更地価格、借家権価格及び本件マンションの延面積に対する本件建物の面積の割合を根拠に、立退料の額を五〇〇〇万円と主張した。

右和解交渉の結果、セイコーと被告との間で、立退料の額及びその支払期日等を含めた本件和解の内容につき、事実上おおむね合意がされた。そこで、原告と被告とは、平成二年一一月二六日、原告の法律事務所において、右和解の内容につき最終的な確認を行うとともに、本件委任契約における成功報酬の額を五〇〇万円とする本件報酬合意をした。

(四) 平成二年一一月二七日の別件訴訟第五回口頭弁論期日において、被告とセイコーとの間で、本件和解(甲一)が成立し、同日、被告は、セイコーから本件立退料のうち一〇〇〇万円の支払を受けた。

本件和解の内容は、おおむね第二、二5のとおりであり、被告が本件建物の明渡期日を一日でも徒過したときの被告の違約金が一〇〇〇万円と異常に高額である反面、セイコーが本件立退料の残金三〇〇〇万円の支払を遅滞したときの被告に対する懈怠約款は定められなかった。

(五) 原告は、被告の意向を受け、平成三年一月上旬ころ、セイコー側との間で、被告が同月一一日限りで本件建物を明け渡すのと引き換えに、本件残金を支払うよう求めたが、セイコーはこれに応じ難い旨の回答をした。また、原告らは、被告が同月一一日に本件建物等から立ち退いた後も、被告のセイコーに対する立退料残金の請求権を保全するため、本件建物の入口ドア及び内部に、原告らが本件建物を占有管理している旨の貼り紙をするなどして、本件建物の占有確保の措置を講じた。

(六) 平成三年一月二五日、セイコーは、原告に対し、運転資金不足のため、和解調書記載の立退料残金の最終支払期日である同月三一日に右残金の支払をすることが著しく困難である旨の通知をした。そのため、原告らは、被告の代理人として、セイコーの代表取締役個人に対し、商法二六六条の三に基づく損害賠償請求をする旨の同月二八日付け内容証明郵便を送付した。

その後、セイコーが同月三一日の支払期日に本件残金を支払わなかったため、原告と被告とは、セイコーがその主力取引銀行である訴外三井信託銀行株式会社に対して有する預金債権に対し、債権差押命令の申立てをすることにし、被告は、原告に依頼して、同年二月六日、東京地方裁判所に申立てをし、同月二二日、その旨の裁判がされた。しかしながら、預金債権が存在せず、右差押命令は功を奏しなかった。そのため、被告は、原告に対し、同年三月末ころ、セイコーが三井信託銀行以外のすべての取引銀行に対して有する預金債権についても債権差押命令の申立てを行うように要求したが、原告が、被告に対し、右申立てに必要な諸経費について負担を求めたところ、被告は、右の要求をしなくなった。

(七) その後も、原告らは、被告のために、本件建物等の占有確保の措置や、セイコーとの電話連絡等の事務を継続して行っていたが、本件残金の回収はできなかった。

そこで、被告は、原告に対し、平成三年九月六日付け書面をもって、本件委任契約を解約する旨の意思表示をするとともに、被告訴訟代理人である末松憲一弁護士らに、セイコーに対する残債権の取立回収等の事務処理を依頼する旨の通知をした。これを受けて原告らは、被告に対し、同年一〇月二日付け書面をもって、右解任の申入れを受け入れる旨回答した。

(八) 原告は、被告に対し、被告が本件委任契約を解約するまでは本件和解の成立による成功報酬の支払を請求したことはなく、また、本件残金の支払確保のために、原告らが本件和解成立以後に行った右(五)及び(六)のような諸事務については、現在に至るまで、個別に成功報酬等の支払を請求したことはない。

以上の事実が認められる。

2 右1で認定した本件の事実経過、特に、ⅰ 被告及びその訴訟代理人であった原告は、本件立退料が期日どおりに支払われることを前提に本件和解の内容に同意したものと推認できるが、原、被告間における本件報酬合意は、既にセイコーとの間で事実上合意されていた本件和解の内容を念頭においてされたものと認められること、ⅱ 原告は、本件和解成立後も被告の申出を受け、本件建物の占有及びセイコーの預金債権に対する債権差押命令の申立て等、本件残金の支払確保のための諸事務を行っているが、これらについては別個に報酬等の請求はしていないこと、ⅲ 本件委任契約に基づく成功報酬についても、被告から本件委任契約の解約の意思表示がされた後に初めて請求していること等の事実に、本件報酬合意時の被告の経済状況及び本件成功報酬の金額は、本件立退料全額が現実に回収できることを前提として合意されたものである旨の被告本人尋問の結果を合わせ考えると、本件においては、原、被告間において、平成二年一一月二六日の時点で、①イ 別件訴訟における訴訟活動、及び、ロ 本件和解において得ることとなった立退料全額の回収、以上二つの事務を本件委任契約の委任事務の内容とし、②右①の各事務のすべてについての成功報酬を五〇〇万円とする旨の合意がされたものと認めるのが相当である。甲一五及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は採用することができず、他に、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  争点2(本件委任契約の「依頼の目的」が達成されたか否か)について

1右一1で認定したとおり、本件和解においては、原告の訴訟活動により、別件訴訟においてセイコーが主張していた借家権価格二六〇〇万円の約1.5倍である四〇〇〇万円の立退料が確保されていること、被告は、別件訴訟において、三〇〇〇万円位の立退料であれば建物明渡しに応じてもよいとの意向であったことに照らすと、本件和解の条項に、セイコーが本件立退料の支払義務の履行を遅滞した場合の懈怠約款が定められていないことを考慮しても、本件和解の内容は、被告にとって、別件訴訟において勝訴判決、すなわち請求棄却の判決を得たこととほぼ同等に評価することができる。

2 そうすると、右一2①イの点(第一審における訴訟活動)については、「依頼の目的」は、ほぼ完全に達成されたものというべきである。

3 一方、被告が、原告の前記活動により本件立退料を現実に回収することができたのは、その四分の一の一〇〇〇万円にとどまるから、右一2①ロの点(立退料の回収)については、「依頼の目的」は、いまだ四分の一しか達成されていないものというべきである。

三  争点3(成功報酬の額)について

1  右一及び二で認定したとおり、ⅰ 本件においては、原告の訴訟活動により、右二の程度で「依頼の目的」が達成されたと認められること、ⅱ 原告が、本件立退料の残金の支払確保のため、右一1(五)及び(六)のような措置をとっていること、ⅲ 被告が、本件委任契約の締結に際し、原告に対して支払った着手金は三〇万円と少額であることに加え、ⅳ 日本弁護士連合会の報酬等基準規程(甲一四)においては、訴訟事件における成功報酬の基準額は、委任者(依頼者)が得た経済的利益の額が四〇〇〇万円の場合には二三四万五〇〇〇円、一〇〇〇万円の場合には八四万五〇〇〇円とされ(一八条一項)、右基準額は事件の内容により三〇パーセントの割合で増減額することができ(同条二項)、また、執行事件の成功報酬は、右訴訟事件における金額の三分の一と定められている(二六条)こと、ⅴ 原告が所属する東京弁護士会の弁護士報酬会規(甲八)においては、訴訟事件における成功報酬の基準額及びこれを増減額することのできる割合については右ⅳと同様の定めがされ、執行事件の成功報酬については、右基準額の二分一を基準に、これを右訴訟事件の成功報酬の基準額の三分の一まで減額することができる旨定められていること(二六条一項)、以上の事実を総合すると、本件において発生している原告の被告に対する成功報酬請求権の額は三五〇万円と認めるのが相当である。

なお、原告は、訴状において、五〇〇万円のうち一〇〇万円を減額する旨述べているが、右陳述は、五〇〇万円全額の報酬請求権が発生していることを前提として、その場合に限って一〇〇万円の債務を免除したものと解される。したがって、本件において、右債務免除の意思表示は、原告の被告に対する報酬請求権の額に影響を及ぼすものではない。

2  この点、原告は、本件は、原告の責に帰さない事由により解任された場合であるので、弁護士報酬規程五条の定めに基づき、成功報酬の全額を請求することができる旨を主張するが、原、被告間において、本件報酬合意の成立に際して、右条項と同趣旨の合意がされたことを認めるに足りる証拠は存しない。そうであるならば、原告の右主張は、その余の点について判断するまでもなく、その前提を欠き採用することができない。

一方、被告は、本件委任契約の解除は、原告が本件立退料の回収事務を放棄したためにされたもので、右契約は受任者たる原告の責に帰すべき事由により終了したものであるから、原告には、被告に対する報酬請求権はない旨を主張するが、原告は、右一1(五)及び(六)で認定したとおり、本件残金の回収事務を継続して行っており、被告主張のように本件立退料の回収事務を放棄したものとはいえないから、原告の本件回収事務の遂行中に生じた本件委任契約の終了は、原告の責に帰すべき事由によるものとは認められず、被告の右主張も採用することができない。

四  争点4(右第二、二6の五〇〇万円が貸金であるか否か)

証拠(甲三、一五、乙一二ないし二一、六九、原告本人及び被告本人)によれば、被告は、本件和解成立後、新住居で使用するための家具等の購入費用等として、多額の支出を必要としていたところ、被告が平成三年一月一一日に本件建物を明け渡すのと引き換えに、セイコーが被告に対し本件立退料残金の支払をしなかったため、被告は右売買代金等の支払に窮することになったこと、被告は、原告から五〇〇万円を受領し、これと引換えに、「一金五百萬円也 右借り受けました。」との記載がある「借用証」(甲三)に署名押印していること、以上の事実を認めることができ、これに原告主張に沿う甲一五及び原告本人尋問の結果を合わせ考えると、本件五〇〇万円は、原告が、被告に対し、弁済期の定めなく貸し渡したものと認められる。乙六九及び被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用することができず、他に、右認定を左右するに足りる証拠はない。

五  争点5(一)(原告が被告を明渡期限前に本件建物等から立ち退かせたことにつき、原告に過失があるか否か。)について。

1  右二1で認定した事実、証拠(甲一五、乙一、二、三、四、五の1、2、六の1、2、一一、一二、二四、六九、七〇、原告本人及び被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

(一) 本件建物及びその敷地には、被担保債権額の合計金額六六億三〇〇〇万円、債務者をセイコーとする抵当権及び根抵当権が設定されており、別件訴訟においては、右の事実が記載された不動産登記簿謄本が書証として提出されていた。

(二) 被告は、本件和解成立後の平成二年一二月二五日、新住居等につき、訴外大沢梱包運送株式会社との間で建物賃貸借契約及び駐車場(自動車保管場所)契約を締結し(乙二四、二五)、原告に対し、同三年一月初めころ、明渡期限前の同月一一日に本件建物をセイコーに対して明け渡すので右明渡しと引換えにセイコーから本件立退料残金の支払を受けたい旨を伝えた。原告は、同月六日、その旨をセイコー側に伝えたが、セイコーは、原告に対し、同月七日、セイコー側の準備の都合により同月一一日に被告に右残金を支払うことは困難である旨を回答した。

(三) 被告は、原告からセイコーの右回答を聞き、原告に対し、セイコーが右金員を支払うのと引換えでなければ本件建物からの立退きをしない旨伝えたが、原告は、予定どおり本件建物からの立退きを完了するよう被告を説得し、被告は、止むなく同月一一日、予定どおり本件建物から立ち退いた。

(四) セイコーは、原告に対し、平成三年一月二五日、同月三一日までに本件立退料残金三〇〇〇万円を被告に支払うことが著しく困難である旨を通知し、さらに、同月三一日、右同日に右三〇〇〇万円を支払うことは不可能である旨を通知した。

(五) 原告は、本件和解成立に至るまでの間も、また、被告から本件建物の立退きの期日について連絡を受け、セイコーと立退料残金の支払時期について交渉した過程においても、セイコーの資産状況について格別の調査をしなかった。

以上の事実が認められる。

2  そして、前記争いのない事実及び前記認定の事実、特に、ⅰ 本件建物及びその敷地には、債権額及び極度額の合計六六億三〇〇〇万円の抵当権及び根抵当権が設定されており、右1(一)の事実に照らし、原告も右事実を認識していたと推認することができること、ⅱ セイコーから被告に対し、本件建物の明渡しと引換えに支払われるべき本件立退料残金は三〇〇〇万円と多額であったこと、ⅲ 本件和解において、被告は、セイコーが本件残金を被告に提供するまでの間、本件建物等の使用損害金の支払を免除されていたものと認められること、ⅳ 本件建物等の早期の明渡しに多大の利益を有していたと思われるセイコーが意外にも平成三年一月一一日の立退料残金との引換えによる被告の早期明渡しの申出に資金面で応じなかったこと、等の事実に照らすと、本件において、原告は、被告に本件建物からの立退きを促すに先立ち、セイコーの資産状況等を調査すべき義務を負っていたものと認めるのが相当である。

そして、右1で認定したとおり、原告は、セイコーの資産状況等について格別の調査をしないまま被告を本件建物等から立ち退かせたのであるから、この点について原告に過失があったというべきである。

3  この点、原告は、ⅰ 被告が本件建物の明渡義務を遅滞すると、本件和解により一〇〇〇万円の損害金の支払義務が生じること、ⅱ セイコーの立退料支払義務は、裁判上の和解によるものであるうえ、別件訴訟当時、本件共同住宅に居住していた者は被告のみであり、セイコーには被告が本件建物を明け渡すことにつき多大の利益があったこと等を理由に、原告には過失はなかった旨主張する。しかしながら、右ⅰについては、前記認定事実に照らし、原告らが早期にセイコーの資産状況を調査すれば、具体的な明渡時期及び立退料の支払期日の延長等につき、セイコーと交渉するなどして、損害発生の危険を未然に回避することも可能であったと認められるし、ⅱについても、セイコーに資金がなければ、本件残金が期限に支払われないことは十分予想し得たと認められるから、原告の右主張には理由がない。また、甲一五及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分については採用することができず、他に、右認定を左右するに足りる証拠はない。

六  争点5(二)(被告に生じた損害の額)について

1  新住居等の賃借費用(合計八六五万二三一一円)について

(一) 右五2ⅲのとおり、本件和解において、被告は、セイコーから、同社が本件残金を被告に提供するまでの間は、本件建物等の使用損害金の支払を免除されていたのであり、また、原告に右五の過失がなければ、本件建物等の明渡時期及び本件残金の支払時期の延長等につきセイコーと交渉する等の措置を講じることにより、右五3ⅰの損害金発生の危険を回避しつつ、被告が、セイコーが右金員全額の提供をするまでの間は、本件建物等を無料で使用することが可能であったと認められる。そして、乙六七及び被告本人尋問の結果によれば、セイコーが、本件残金の全額を被告に対し支払うには、平成四年三月末日までの期間を要したものと認められるから、被告が、同三年一月二四日から同四年三月一九日までの間に、一四か月分の新住居等の賃料として現に支出した金員のうち、本件建物等の一四か月分の使用損害金相当額である合計一七〇万八〇〇〇円(月額一二万二〇〇〇円)については、右過失により原告が被った損害であると認められる。しかしながら、被告が、新住居等の賃料として支払った金員のうち、右金額をこえる部分については、被告が、ことさら本件建物等の約四倍の賃料を要する新住居等を賃借したために生じた費用であるから、原告の右過失と因果関係のある損害と認めることはできない。

(二) 一方、被告は、本件立退料の残金の支払と引換えに本件建物を明渡し、新たな住居へ引越さなければならない立場にあったのであるから、仲介手数料、礼金はいずれは支払わなければならない費用であると認められるうえ、右各費用が高額となり、管理費の支払を要した理由も、前記のとおり、被告が、本件建物に比して賃料の極めて高額な住宅を賃借した結果によるものと認められる。したがって、これらについては、原告の右過失により生じた損害であるということはできない。

2  訴外牧健作に対する弁護士紹介料(二〇〇万円)について

仮に、被告が、右訴外人に弁護士紹介料を支払っていたとしても、原告の右過失とは何ら因果関係がない。

3  本件立退料残額の回収のための新弁護士費用(二六〇万円)について

前記認定によれば、被告は、本件委任契約を解約することにより、原告に対し、一五〇万円の成功報酬の支払義務を免れる結果となっているうえ、右費用は、右第三、三2のとおり、原告の責に帰すべき事由によらず本件委任契約が終了したことによる支出であるから、原告の右五の過失により生じた損害ということはできない。

4  借入金の利息(合計三二〇万七七五〇円)について

原告は、新住居の賃借費用等の諸費用にあてるために訴外株式会社アシスト及び同萬盛商事株式会社から、合計約二〇〇〇万円を借り入れた旨主張するが、本件全証拠によっても、右借入が、原告の右五の過失により生じた右1(一)の費用を賄うために必要不可欠なものであったとは認められない。したがって、右借入金の利息についても、原告の右過失との間に因果関係がある損害とはいえない。

5  以上により、原告の第三、五2の過失により、被告は、合計一七〇万八〇〇〇円の損害を被ったものと認められるから、被告は、原告に対し、債務不履行に基づき、右同額の損害賠償請求権を有していることになる。

七  そして、被告が、原告に対し、平成五年一〇月二五日の本件第七回口頭弁論期日において、原告の本訴請求債権と右損害賠償請求権とを対当額で相殺する旨の意思表示をし、さらに、同六年一二月一四日の同第一六回口頭弁論期日において、原告の本訴請求債権につき、①本件報酬金債権、②本件貸金債権の順序で右相殺の受働債権とする旨述べたことは記録上明らかである。したがって、原告の本件報酬金債権と被告の右損害賠償請求権とは、一七〇万八〇〇〇円の限度において、対当額で消滅したことになる。

第四  結論

以上の次第であるから、原告の請求は、被告に対し一七九万二〇〇〇円の報酬金及び五〇〇万円の貸金、ならびに右各金員に対する訴状送達の日の翌日である平成四年一二月二三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれらをいずれも認容し、その余の報酬金及びこれに対する遅延損害金の支払請求は理由がないからこれを棄却することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官河野信夫 裁判官舘内比佐志 裁判官田中一彦)

別紙〈省略〉

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